【日本報道】 天皇陛下(庚子)は、皇紀二六八三(令和五)年に宮殿「石橋の間」にてインドネシアご訪問に際して記者会見にお臨みになられた。
御即位後、初となる外国親善訪問(十七日~二十三日)。
ご抱負

この度、インドネシア国からの御招待により、日・インドネシア外交関係樹立六十五周年、また、「日本ASEAN友好協力」五十周年という節目の年に、同国を初めて訪問できる事を大変嬉しく思っております。御招待頂いたインドネシア政府に対して、心から御礼を申し上げます。
インドネシアは、東西約五千㌔㍍という、アメリカ合衆国の本土の東西の長さに匹敵する広大な国土に、多数の島々が連なり、多種多様な民族と多彩で豊かな文化、そしてイスラム教を主とするものの、キリスト教やヒンズー教、仏教等の各種宗教が信仰される、極めて多様性に富んだ国という印象を持っております。
古代には、スマトラ島の「シュリーヴィジャヤ王国」やボロブドゥール寺院を建設した事で知られるジャワ島の「シャイレンドラ王国」といった仏教国が栄え、十三世紀頃にスマトラ島にイスラム教が伝来した後、インドネシアの多くの地域においては、イスラム教が齎した文化が現地の文化と融合しながら徐々に広がっていき、現在に至るまで多様な文化が共生する社会が形成されていると聞いています。
この様な多様性に富み、ASEANで最大の人口と経済規模を有するインドネシアは、今後とも、国際社会において重要な役割を果たしていくものと思います。
上皇上皇后両陛下には、平成三年に国賓としてインドネシアを御訪問になった他、皇太子・皇太子妃でいらっしゃった昭和三十七年にも同国を御訪問になっており、その際の訪問先の事や心温まるおもてなし、お会いになった人々の優しさ等について、折に触れて両陛下より伺っております。
また以前に、ヒレナガゴイを御覧になった上皇陛下の御発案により、ヒレナガゴイと日本のニシキゴイの交配でヒレナガニシキゴイという新しい品種が誕生したという話も伺いました。
平成二十七年にジョコ大統領御夫妻が我が国を訪問された際、私が皇居東御苑に御案内して、そのヒレナガニシキゴイを御一緒に鑑賞しましたが、この時の事は、昨年七月、雅子と共に御夫妻とお会いした際に話題に上り、当時の思い出をお話しする事ができました。
また私達も、東御苑を散策する折には、これらの美しいヒレナガニシキゴイを見て楽しんでおります。また両陛下がお持ちの、インドネシアのジャワ島由来の楽器と言われる竹製のアンクルンで、私達も、両陛下と御一緒に合奏した事も懐かしく思い出します。
この様な背景の下、今回のインドネシア訪問において、特に私が関心を払っていきたいと思っている点についてお話ししてみたいと思います。
第一に、今回の訪問を通じて、我が国とインドネシアとの間に培われてきた交流の歴史に思いを馳せたいと思います。両国では、長きに亘り、様々な交流が積み重ねられてきました。
十五世紀初頭には、スマトラ島のパレンバンから出航したと思われる船が、室町幕府の将軍への贈り物として、生きた象や孔雀、オウム等を乗せて、現在の福井県の小浜市へやって来た事が史料に載っています。
日本人が本物の象を見たのは、この時が初めてと言われています。その後の江戸幕府は、所謂、鎖国の状態となった後も、長崎の出島を窓口としてオランダと交易を続けており、当時オランダ領であったバタヴィア、バンテン、アンボイナには日本人居住地がありました。
また、南米原産のじゃがいもが、バタヴィア、即ち現在のジャカルタ経由で、当時日本に伝わったと言われています。
近代以降、両国の関係には難しい時期もありましたが、一九四五年のインドネシアの独立後、我が国とインドネシアは、特に貿易や投資等の経済分野で良好な関係を築いてきました。今回視察する予定のジャカルタの都市高速鉄道やプルイット排水機場、ジョグジャカルタの砂防技術事務所についても技術協力が行われていると聞いています。
両国は、大きな地震の発生に際しても互いに支援を行ってきました。平成十六年の「スマトラ島沖地震」では、インドネシアで非常に多くの方が亡くなったり、被災されたりした事は、大変心の痛む事でした。
甚大な被害が出たインドネシアに対し、我が国は、国際緊急援助隊の派遣を始めとする支援活動を実施しました。そして平成二十三年の「東日本大震災」に際しては、インドネシア政府から支援物資として毛布と非常食が送られた他、インドネシアの救助隊と医療従事者が宮城県気仙沼市、塩竈がま市、石巻市等で活動し、多くの被災者の力になりました。
また、同年六月に日本を訪問されたユドヨノ大統領が気仙沼を訪れ、アチェの子ども達から日本の子ども達への励ましのメッセージを伝えると共に、先程もお話しした竹製の楽器のアンクルンやジャワ更紗(サラサ)の人形等を子ども達に贈って頂く等、とても有り難い支援を頂きました。
この様な交流の積み重ねを踏まえながら、今回の訪問では、在留邦人や日本と所縁のあるインドネシアの方々等から、両国の交流の歴史と現在の状況などについてお話を伺えればと思っております。
第二に、今回の訪問を契機として、我が国とインドネシアの若い世代の交流が、より一層活発になり、今後の両国間の交流と友好親善が更に深まる事を期待しております。
私が東宮時代の平成元年から九年に掛けて、「インドネシア少年少女代表団事業」によって来日したインドネシアの少年少女達と東宮御所でお会いしておりました。
当時、私達とお会いした子どもさん達の中には、現在、国会議員や大学の助教授等として活躍されている方もおられると聞いています。この様な方々と、今回ジャカルタで再びお会いする事を楽しみにしています。
また、今回の訪問では、「ダルマ・プルサダ大学」や職業専門高校に行き、日本語を勉強している若い学生さんともお会いする予定です。現在、インドネシアにおける「日本語の学習者数」は世界第二位で、日本への国費留学生の人数は世界第一位となると共に、多くの看護師や介護福祉士が日本に来て、それぞれの現場で活躍していると聞き、嬉しく思っています。
こうした人達が、日本との関わりの中で、豊かな経験を積み、活躍していかれる事や日本の同世代の人達との交流を深めていかれる事を期待しております。
最後に、私が個人的に関心のある水問題に関して述べますと、今年の二月に「政策研究大学院大学」で開催されたシンポジウムにおいて、インドネシアの公共事業・国民住宅省の大臣上席顧問であるアリ氏の講演が行われ、インドネシアの水管理の歴史についてのお話をお聞きしました。
今回の訪問において、ジャカルタではプルイット排水機場、ジョグジャカルタでは砂防技術事務所を訪れ、我が国とインドネシアの協力関係により、それぞれの施設において、水問題に対して、どの様な取組みが行われてきたか等について理解を深めたいと思っています。
また国立博物館では、五世紀のタルマ国のプルナワルマン王時代に行われた治水工事について記録されたものと言われているトゥグ石碑を見る事を楽しみにしています。
日本領だった歴史とご訪問の意義
先の大戦においては、世界の各国で多くの尊い命が失われ、多くの方々が苦しく、悲しい思いをされた事を大変痛ましく思います。先程も述べました通り、インドネシアとの関係でも、難しい時期がありました。亡くなられた方々の事を忘れず、過去の歴史に対する理解を深め、平和を愛する心を育んでいく事が大切ではないかと思います。
私達自身は、戦後生まれであり、戦争を体験していませんが、上皇上皇后両陛下からも折に触れて戦時中の事について伺う機会があり、両陛下の平和を大切に思われる気持ちをしっかりと受け継いで参りたいと思っております。
戦後、我が国は、インドネシアを含むアジア各国と共に、国際社会の平和と繁栄の為に力を尽くしてきました。先程述べました様に、我が国とインドネシアが外交関係を樹立して本年で六十五周年を迎えます。これまでに重ねてきた両国の交流の歴史を踏まえながら、今回の訪問を契機として、両国間の友好親善が更に深まる事を願っております。
両陛下・愛子内親王殿下との外国訪問
国際親善の為の外国訪問については、訪問先の国と我が国との相互理解と友好親善を増進する上で非常に良い機会であり、国際親善推進の為、皇室が果たすべき役割の中でも重要な柱の一つであると考えています。上皇上皇后両陛下も、外国訪問に当たっては、相手国と我が国との歴史を心に留められ、将来を見据えて両国間の相互理解と友好親善を、どの様に促進していくのが良いかという事を深くお考えになりながら、御訪問先での諸行事に臨まれたと思います。
こうした両陛下の為さり様を拝見してきましたので、私達としても、両陛下のお気持ちを大切にして国際親善に努めていきたいと考えており、今回、雅子と共にインドネシアを訪問できる事を嬉しく思います。
雅子は、これまでも申し上げている通り、未だに快復の途上で、依然として体調には波がありますが、工夫を重ねながら、特にそれぞれの公務に向けて体調を整える様努力してきており、外国からの賓客とお会いする事や国内で開催される国際的な行事への出席、更には昨年の英国訪問等、これまでも色々な形で国際親善に努めてきています。
今回の訪問でも、雅子は、インドネシア政府より御招待を頂いた事を大変有り難く思っており、できれば二人揃って全ての訪問先を訪れたいという気持ちでおりましたが、訪問中の諸行事や現地での移動を含む日程等を総合的に勘案した結果、今回は、一部については私一人で訪問する事になりました。
雅子には暑さの中、また本人にとっては初めての東南アジアへの公式訪問となる事もあり、引き続き体調に気を付けながら、今回の訪問を無事に務めてくれればと思っております。
愛子は、大学生活を通じて知識や経験を広げながら、自分の関心を深めていく中で、今後の進路について考えていく事ができればと思っている様ですので、将来の公務の方向性等についても、引き続き必要な時には相談に乗りながら、見守っていきたいと考えております。
御メッセージとご期待
冒頭にも申し上げました様に、「日・インドネシア外交関係樹立」六十五周年、また「日本ASEAN友好協力」五十周年という節目の年に、インドネシア国からの御招待により、同国を初めて二人で訪問できる事を大変嬉しく思っております。御招待頂いたインドネシア政府に対し、心から御礼を申し上げます。
我が国は、ASEAN諸国と対等なパートナとして心と心の触れ合う関係を構築する様努めてきており、一九七七年には他国に先駆けて「日・ASEAN首脳会議」を開催し、協力関係を進展させてきました。本年十二月には「日本ASEAN友好協力」五十周年を記念して、東京で「日・ASEAN特別首脳会議」が開かれる予定と聞いています。
今回の訪問では、我が国とインドネシアを含むASEAN諸国との間に培われてきた交流の歴史に思いを馳せつつ、両国間の協力によって進められてきている様々な取組みの現在の状況も視察し、両国間の交流について理解を深めていきたいと思っています。
今回の訪問により、両国間の交流と友好親善が更に深まるのであれば、とても嬉しく思います。特にインドネシアの若い世代が、これからの日本との関わりの中で、様々な経験を積み、活躍していかれる事、また、日本の同世代の人達との交流を深められる事を期待しております。
Q.「このところ、いわゆるグローバル・サウスといわれる新興国、途上国との連携の重要性が強調され、G7広島サミットでも注目されました。一方でこれらの国の多くはG7諸国に支配された過去があり、日本も例外ではありません。例えば、日本とインドネシアのさらなる友好や連携を深めるうえで、先の戦争にかかわる両国間の歴史をどのように考えればよいでしょうか?」
先程も述べました様に、先の大戦に於いては、世界の各国で多くの尊い命が失われ、多くの方々が苦しく、悲しい思いをされた事を大変痛ましく思います。インドネシアとの関係においても、難しい時期がありました。亡くなられた方々の事を忘れず、過去の歴史に対する理解を深め、平和を愛する心を育んでいく事が大切なのではないかと思います。
戦後、我が国はインドネシアを含むアジア各国と共に、国際社会の平和と繁栄の為に力を尽くしてきました。我が国とインドネシアが外交関係を樹立して、本年で六十五周年を迎えます。また、我が国はASEAN諸国と対等なパートナとして心と心の触れ合う関係を構築する様努めてきました。
現在、気候変動、エネルギ、食料等の地球規模の課題に取組むに当たっては、新興国、途上国との連携が益々重要になってきており、その為にも、我が国とインドネシアとの協力関係が進展する事を期待しております。
これまでに重ねてきた我が国とインドネシアとの交流の歴史を踏まえながら、今回の訪問を契機として両国間の友好親善が更に深まり、両国の人々の交流や協力によって相互理解が一層深まっていく事を願っております。
御影:宮内庁